卒業生の声

 

アーリーワイン直美

ミネアポリス日本語補習授業校は、私の原点のようなものです。 幼稚部から高等部まで通った私にとって、補習校は日本語や日本文化を学ぶ場所だけではなく、二つの言語を使う生活について考えるきっかけになる場所でもありました。現地校と補習校を両立しながら、どちらのほうが自分により適しているかを子どもの頃からよく考えていましたし、大学生の頃、自分は日本人なのかアメリカ人なのか、そのような自分のアイデンティティーについて悩まされていました。

この記事をお読みになる方の中にも、似た様な悩みを抱えている方がいるかもしれません。

国や文化を跨いでいる人が、自分のアイデンティティーについて考えるのはすごく自然なことだと思います。日本語と英語、日本文化とアメリカ文化のバランスの取り方は、人それぞれ違うものなので、自分らしく両方を維持していってほしいです。そして、二つ以上の言葉を知っていることは、その背後にある文化や考え方を理解し、様々な角度から物事を捉えられる思考の柔軟性にも繋がります。現地校と補習校の両方をがんばって、色々な視点から物事を理解できる力を磨いて下さい。それは、この先世界のどこに行っても、何をしても、必ず皆さんの力になります。

私は大学生として日本に渡り、日本とアメリカの両方で仕事をしたことで、ようやく自分なりの日英バイリンガルとしての理想的な生活が描けるようになりました。皆さんも現地校と補習校を満喫し、そこで培った経験をもとに夢に向かって羽ばたいて下さい。

 

シャルマもなさ

毎週現地校での勉強で忙しい中、補習校の宿題も重なり大変だったことを良く覚えています。それでも私にとって補習校で得る勉強はとても大切でしたし、補習校が毎週楽しみでした。高等部のないオタワ補習校から来た私にとって、ミネアポリス日本語補習校の高等部で授業が受けられたことは、大きな幸運でした。

一年後フェニックスに引っ越すことになり、高等部の授業がそれ以上受けられなくなった事は残念ですが、補習校の先生方の努力には心から感謝しています。

振り返ってみると、ミネアポリス補習校で授業を受けられた時間は、私にとってかけがえのない貴重な時間でした。短い間でしたが、数学が楽しいと思えたことや、現地校での勉強がもっと良くなったのも、補習校の先生のおかげです。現在は特に日本語も数学も使う機会はありませんが、それでも時々、先生が作った数学の資料を見直したり、国語の教科書を開いたり、生徒だったときに書いた作文を読んだりするのが楽しいです。

ミネソタにいつか戻る機会があったらまた先生の授業を受けたいです。もし出来れば、金曜日の夜まで補習校の宿題を溜めてしまっていた当時の自分に「補習校の勉強も、もっと真面目にしろ」と伝えたいです。

皆さんも、どうか自分たちの幸せに気づいて、補習校での時間を大切にしてください。

 

喜多 匠 (きた たくみ)

喜多匠

僕は、幼稚部年中組から高等部2年までの12年半、ミネアポリス日本語補習校に通いました。気の合うクラスメートや、親切な先輩方、一生懸命の大人の方々や、ユニークな先生方に恵まれて、これまでの僕の人生の3分の2以上の年月を過ごしたことになります。土曜日にアメリカの友だちに遊びに誘われても、迷わず断っていました。それくらい「土曜日=補習校」というのは、僕にとって自然でした。

補習校に入って間もないころ、上級生の落語ビデオを観たのがきっかけで、僕も落語に親しむようになりました。よろしければ、僕が小3のとき「アメリカ中西部補習校講師研修会」の余興として演じた「たのきゅうオリジナル版」http://youtu.be/l02EAnejPeE をご覧ください。

放課後に上手な「だまし絵」をたくさん描いてくれた上級生もいました。また、数学が決して得意ではない僕が「中高生のためのミネソタ大学数学コース(UMTYMP)」に参加したのも、補習校の先輩や同級生の間でUMTYMPが流行っていたおかげです。強靭な精神で19年間も学校を支えられた初代理事長ご夫妻は、僕のような子供のバイオリン発表会に、何度も足を運んでくださいました。平成24年に後を継がれた二代目理事長は、好奇と人道と浪漫の手本を示してくださいます。

このように、補習校について書き出すと、あとからあとから出て来て止まりません。僕にとってミネアポリス日本語補習校は、本当に特別な学校、暖かくて元気いっぱいの、大きな家族のような存在です。